エントリーの形式を迷った末に返信で。
前に、クソ暑い中、Voigtlander BESSA-L + RICOH GR 21mm F3.5 / ベルビア という酔狂な組み合わせのをぶら下げて、野良犬/不審者したことがあります。
外付けファインダーは家に置きっぱなしのまま(BESSA-Lにはファインダーが内蔵されていません)。
素人が気軽に迂闊にやるもんじゃないと思いました。
ただただ、「何も」写ってないだけの写真ができ上がってきました。
ピントはパンフォーカスなんで合うも何もないし露出だって合ってたんですけど(露出計は内蔵なので)、数打ちゃ当たるで撮れる写真じゃない、というのを身を以て理解しました。
荒木経惟のように「年明けの近所の散歩で2本撮っちゃう」というような人ならそれはそれで話が別かもですが、やっぱりそれはそれで写真そのものへの情熱が常人とは桁違いだし、フレーミングを体得してないとできないし、撮れてきたものをジャッジする眼がないとなあ、と。
なぜ「その景色がただそこにある」かについては撮影者の意図が少なからず反映されていることがほとんどだと思います(ほんとの野良犬にカメラ背負わせてインターバル撮影とかならともかく。でもそこまで行くとチャンスオペレーション的なニュアンスが絡んでくる気も)。
「決定的瞬間を撮る方法、それは、その場にいることだ」という名言(ブレッソン?)が沁みます。
ピアノの名演奏家で、リストだったか誰だったか、「ピアノなんて簡単です、ちょうどいい時にちょうどいい鍵盤をちょうどよく押すだけですから」などと抜かした方がいますが、沁みます2。
違和感な角度の画像については、罰せられるべきなのはもちろんですが。
一方で個人的に、人生における最大の目標のひとつに「他人が全員クソだと思ったとしても自分だけは最高だと思えるモノゴトを何か完成させる」というのがありまして、こういう目標がある以上は、その一点においてだけはその画像を「作品」と呼ばなきゃいけないのかな、と思う部分を捨てきれないでいます。